有料老人ホームの入居一時金には「償却」という仕組みがあり、入居してから時間が経つほど、解約時に返還される額が減っていきます。老人福祉法・同施行規則にもとづき、入居後90日以内に契約解除や死亡があった場合は前払金がほぼ全額返還される「90日ルール」が定められています。この「90日ルール」は一般に「クーリングオフ」と呼ばれることもありますが、法律上の正式なクーリングオフ制度そのものではなく、老人福祉法上定められた短期解約特例の通称である点に注意してください。この記事では、初期償却と月割償却の仕組み、90日ルールとの関係、返還額の具体的な計算方法を制度にもとづき解説します。
有料老人ホームの入居一時金の償却とは
入居一時金の「償却」とは、入居時にまとめて支払った前払金を、入居期間の経過に応じて事業者側が「使用した費用」として少しずつ計上していく会計上の仕組みです。前払金は本来、入居者が将来受け取るはずの家賃・サービス利用権に対する前払いであるため、時間の経過とともに「すでに提供したサービスの対価」として償却され、途中で退去・死亡した場合には未償却分(まだサービス提供を受けていない部分に相当する額)が返還されます。
前払金・利用権方式との関係
入居一時金の償却は、主に「利用権方式」と呼ばれる契約形態で採用されます。利用権方式では、入居者は居室や共用施設を利用する権利と介護等のサービスを受ける権利を一体として得る対価として前払金を支払い、この前払金が償却の対象になります。老人福祉法第29条第9項・第10項により、事業者は前払金を受領する場合、算定根拠を書面で明示し、返還債務に備えた保全措置を講じ、かつ入居日から一定期間内に契約解除・死亡した場合に前払金の一部を返還する契約を締結することが義務付けられています。
償却の対象になる費用の範囲
償却の対象となるのは、あくまで前払金として一括で支払った家賃相当額・サービス利用権に対する対価部分です。入居後に月ごとに支払う管理費・食費・介護サービス費等の実費は償却の対象ではなく、退去時にはその時点までの利用分を精算するのが一般的です。前払金のうちどの範囲が償却対象になるか、どのような算定根拠が用いられているかは施設ごとに異なるため、重要事項説明書で個別に確認する必要があります。
初期償却と月割償却の仕組み
入居一時金の償却は、大きく分けて「初期償却」と「月割償却(毎月の償却)」の2段階で行われるのが一般的です。
初期償却とは何か
初期償却とは、入居した時点で前払金の一部を一括してあらかじめ償却する仕組みです。入居準備や契約手続きにかかる費用相当分として、入居直後にまとまった割合が控除される形になります。老人福祉法・同施行規則には初期償却率の上限を直接定める規定は見当たらず、初期償却をどの程度の割合で設定するかは事業者ごとに異なります。具体的な割合は施設によって差があるため、契約前に重要事項説明書でよく見比べておきましょう。
月割償却の計算方法(老人福祉法施行規則第21条)
初期償却後の残額は、入居期間の経過に応じて月割り(実務上は日割り)で償却されていきます。老人福祉法施行規則第21条では、返還額の算定方法として「前払金の額を、想定居住期間の月数で除して得た額(月額)を30で除した額に、入居日から契約解除・死亡した日までの日数を乗ずる方法」が定められています。つまり、前払金の残額を「想定居住期間」という一定の期間に均等に割り振り、実際に居住した日数分だけを消化した(償却した)とみなす計算方法です。
想定居住期間の決め方
「想定居住期間」とは、前払金を算定するにあたって事業者があらかじめ設定する、入居者が居住すると見込む期間のことです。想定居住期間は法令で一律に定められた期間ではなく、前払金の算定にあたって各事業者があらかじめ独自に設定するものであり、その長さや根拠は施設によって大きく異なります。想定居住期間の設定状況の実態や、それにともなう不利益事例については後述の「想定居住期間の設定が不透明なケース」で取り上げます。
90日ルール(クーリングオフ)とは
有料老人ホームの入居一時金には、一般的な契約に見られるクーリングオフ制度そのものではなく、老人福祉法上の独自の短期解約特例(いわゆる「90日ルール」)が設けられています。
90日以内に解約した場合の返還額
老人福祉法施行規則第21条により、入居後3か月(90日)を経過するまでの間に契約解除または死亡があった場合、事業者は初期償却を適用せず、実際に居住した日数に応じた実費相当分(月額を30で除した額に経過日数を乗じた額)を除いた前払金を返還する契約を締結することが義務付けられています。つまり、90日以内の解約であれば、初期償却分を含めて前払金のほとんどが返還される仕組みです。
導入の経緯(内閣府消費者委員会の建議)
90日ルールが法制化される前は、事業者による対応にばらつきがありました。内閣府消費者委員会の建議(2010年12月)では、重要事項説明書における短期解約特例の記載不備や、規定があっても「7〜90日間」といったより短い予告期間を課すことで、実質的に返還対象期間を短縮している例があると指摘されました(記載不備の具体的な件数は後述の「90日ルールの記載不備・保全措置未実施」を参照)。この建議を契機として、2012年の老人福祉法改正により、入居後3か月以内の解約・死亡について前払金を返還する契約締結が法律上の義務として明文化されました。
90日経過後に退去・死亡した場合の返還金計算
90日を過ぎてから退去・死亡した場合も、想定居住期間が満了するまでは、未償却分が返還される仕組みが維持されます。
未償却分の返還の考え方
老人福祉法施行規則第21条は、想定居住期間が経過するまでに契約解除・死亡があった場合についても返還規定を適用するよう定めています。具体的には、前払金の残額(初期償却後の額)を想定居住期間の月数で均等に割った月額を30で除し、そこに入居日から解除・死亡日までの経過日数を乗じた額を「すでに消化した(償却済みの)額」とみなし、残りを未償却分として返還する方法です。想定居住期間を過ぎてからの解約・死亡については、原則として返還対象外となります。
具体的な計算例
老人福祉法施行規則第21条の計算式(月額を30で除した額に経過日数を乗ずる方法)は、実務上は日割りで計算されますが、ここでは考え方を分かりやすくするため、月額を経過月数に乗じる簡略化した方法で、あくまで仮の数値を用いて当てはめてみます。例えば、前払金が500万円、初期償却率が20%、想定居住期間が5年(60か月)に設定されている施設で、入居から18か月後(90日超過後)に契約を解除した場合を仮定します。初期償却後の残額は500万円から初期償却分100万円(500万円×20%)を差し引いた400万円です。この残額400万円を想定居住期間60か月で均等に割った月額は約6.7万円となり、18か月分の経過にあたる約120万円(6.7万円×18か月)がすでに消化された額とみなされます。したがって未償却分は400万円-120万円=約280万円となり、この額が返還額の目安になります。
| 前払金 | 初期償却後残額 | 経過月数 | 返還額(未償却分)の目安 |
|---|---|---|---|
| 500万円(仮定) | 400万円(初期償却率20%を控除後) | 18か月 | 約280万円 |
以上はあくまで説明のための仮定の数値例であり、実際の前払金の総額・初期償却率・想定居住期間は施設ごとに異なります。契約時に交付される重要事項説明書や契約書で、自分のケースに当てはめた具体的な計算方法を確かめておきましょう。
入居一時金の保全措置(500万円上限)との違い
入居一時金には、償却とは別の制度として「保全措置」があります。両者は混同されやすいため、違いを整理しておきましょう。
保全措置の4つの方式
老人福祉法第29条第9項により、事業者は前払金の返還債務に備え、厚生労働省令で定める保全措置を講じる義務を負います。厚生労働大臣が定める告示(告示第266号)では、保全措置の方法として次の4類型が定められています。
- (イ)銀行等による連帯保証委託契約
- (ロ)保証保険契約
- (ハ)信託契約
- (ニ)一般社団法人・一般財団法人との保全契約
保全すべき金額は「契約で定めた想定居住期間のうち残存期間に係る額」と「500万円」のいずれか低い方以上とされています。詳しくは入居一時金の保全措置についての記事で解説しています。
償却計算との違い
償却は「入居期間の経過に応じて、退去時にいくら返還されるかを決める計算方法」であるのに対し、保全措置は「事業者が万一倒産した場合に、返還されるべき額のうちどこまでが保護されるかを定める仕組み」です。つまり、償却計算で算出された未償却分(本来返還されるべき額)が500万円を超えている場合、超過分は保全措置による保護の対象外になり得ます。500万円という金額は保全措置の上限であり、償却の計算式そのものを変えるものではない点に注意が必要です。
トラブルになりやすいポイント
入居一時金の償却・返還をめぐっては、以下のようなトラブルが指摘されています。
想定居住期間の設定が不透明なケース
内閣府消費者委員会の建議資料によれば、調査対象1,196施設のうち、入居者の年齢別に償却期間を変えている施設は398施設(33.3%)にとどまり、残りの798施設(66.7%)は年齢にかかわらず一定期間で統一して想定居住期間を設定していました。同資料では、年単位で償却する仕組みの場合「入居期間が1年1か月で解約しても2年分償却されてしまう」という、消費者に不利益なケースが指摘されています。想定居住期間の設定根拠が重要事項説明書に明確に記載されているか、契約前によく確かめておきたいところです。
90日ルールの記載不備・保全措置未実施
同建議の調査では、前述の想定居住期間の設定に関する実態に加えて、前払金受領施設のうち370施設(30.9%)が重要事項説明書に短期解約特例(90日ルール)の規定を欠いていたことが指摘されています。さらに、519施設のうち保全措置を講じていなかった施設が137施設(26.4%)、告示で定められた方式以外の方法を用いていた施設が11施設(2.1%)あり、合計148施設(28.5%)が義務違反の状態にあったことも指摘されています。契約前には重要事項説明書で90日ルールの記載と保全措置の実施状況をあわせて確かめておく必要があります。
入居一時金方式と月払い方式の選び方
有料老人ホームの費用支払い方法には、入居時にまとまった額を支払う「入居一時金方式(利用権方式に多い)」と、家賃相当額を毎月支払う「月払い方式」があります。
それぞれの特徴
入居一時金方式は、入居時に前払金を支払うことで月々の家賃相当額の負担を抑える仕組みです。前払金には初期償却・月割償却が適用され、途中で退去・死亡した場合には未償却分が返還されます。月払い方式は入居時の一時金負担がない、または少ない代わりに、毎月の支払額の中に家賃相当額が含まれる仕組みです。制度の違いにより資金計画や、途中で退去した場合の精算方法が異なります。どちらの方式が適しているかは、入居者本人の資産状況や想定される入居期間などによって異なり、一律に優劣を決められるものではありません。
比較する際に確認すべきポイント(断定的な推奨はしない)
入居一時金方式と月払い方式のどちらを選ぶべきかを一概に判断することはできません。比較・検討する際には、少なくとも次の制度的な事実を重要事項説明書で確認することが判断材料になります。
- 前払金の総額と初期償却率
- 想定居住期間の長さと設定根拠
- 90日ルールの記載内容
- 保全措置の有無と方式
- 月払い方式を選んだ場合の月額費用の内訳
これらを踏まえ、家族の状況や資金計画に応じて検討することが望まれます。利用権方式と建物賃貸借方式の違いについての記事もあわせて確認してください。
契約前に確認すべきチェックポイント
入居一時金の償却をめぐるトラブルを避けるためには、契約前の重要事項説明書の確認が欠かせません。
重要事項説明書で見るべき項目
老人福祉法第29条にもとづき、事業者は入居希望者に重要事項説明書を交付する義務を負います。確認すべき項目としては、以下が挙げられます。
- 前払金の算定根拠
- 初期償却率
- 想定居住期間とその設定根拠
- 月割償却の計算方法
- 90日ルール(短期解約特例)の記載内容
- 保全措置の方式と保全金額
- 退去時の返還金の具体的な計算例
重要事項説明書とクーリングオフ90日ルールの詳細は重要事項説明書についての記事で解説しています。
相談できる窓口
入居一時金の返還や契約内容について疑問や不安がある場合は、契約前であれば施設への直接確認に加え、消費生活センター等の公的な相談窓口を利用できます。独立行政法人国民生活センターでは、老人ホームに関する消費者トラブルの相談事例をFAQとして公開しています。どこに相談すればよいか分からない場合は、消費者ホットライン「188(いやや!)」にかけると、最寄りの消費生活センター等の窓口を案内してもらえます。契約後にトラブルが生じた場合も、まずは事業者に説明を求めたうえで、必要に応じてこうした公的な相談窓口を頼ってみてください。
まとめ
- 入居一時金の償却とは、前払金を入居期間の経過に応じて消化していく仕組みで、入居直後の「初期償却」と、以降の「月割償却」の2段階で構成される
- 月割償却は老人福祉法施行規則第21条にもとづき、前払金の月額を30で除した額に経過日数を乗じる方法で計算される
- 入居後90日以内の解約・死亡であれば、初期償却を適用せず実費相当分を除いた前払金がほぼ全額返還される「90日ルール」が法律上義務付けられている
- 90日を過ぎた後の解約・死亡でも、想定居住期間が満了するまでは未償却分が返還される
- 償却の計算と、倒産時の保護額の上限を定める「保全措置(500万円上限)」は別の制度であり、混同しないよう注意が必要
介護保険制度・老人福祉法の関連規定は改正されることがあります。契約前には必ず最新の重要事項説明書・契約書で内容を確認してください。当サイトの施設情報の掲載方針についてはこのサイトの立ち位置もご覧ください。